僕は親父とは6歳の折、死に別れました。
その短く少ない思い出の中で一つ胸に大きく残ったものがあるのです。
一高から東大というエリートコースを歩んだ父が唯一散歩の際、放歌した歌が
ありました。
それは母校であった一高の寮歌、「ああ、玉杯!」だったのです。
その歌詞の意味など判る筈もない年でしたが、何とその一言一言が感性に響き
心に根付き今もなお忘れられなくなっています。
最近よく「深い」と言う言葉を耳にしますが、この歌詞を反芻するとそれを実感出来ます。
それは僕の中の男を育ててくれたのだと思っています。
しかし、もしそのようなものを忘れ、捨て切れれば、もしかしたら楽に生きて来れた
ようにも思えますが、それでもなをそれに拘り続ける自分がいるのです。
果たして皆様もその詞に共鳴されるかどうか目を通して下さい。
下にご紹介致します。
一言一句が僕の胸を打つのです。
嗚呼(ああ)玉杯に花うけて
緑酒(りょくしゅ)に月の影宿(やど)し
治安の夢に耽(ふけ)りたる
栄華(えいが)の巷(ちまた)低く見て
向ケ岡(むこうがおか)にそそり立つ
五寮の健児(けんじ)意気高し
芙蓉(ふよう)の雪の精をとり
芳野(よしの)の花の華(か)を奪い
清き心の益良雄(ますらお)が
剣(つるぎ)と筆とをとり持ちて
一たび起たば何事か
人世の偉業成らざらん
濁れる海に漂(ただよ)える
我国民(わがくにたみ)を救わんと
逆巻く浪をかきわけて
自治の大船勇ましく
尚武の風を帆にはらみ
船出せしより十二年
花咲き花はうつろいて
露おき露のひるがごと
星霜移り人は去り
舵とる舟師(かこ)は変るとも
我(わが)のる船は常(とこし)えに
理想の自治に進むなり
行途(ゆくて)を拒むものあらば
斬りて捨つるに何かある
破邪の剣を抜き持ちて
舳(へさき)に立ちて我呼べば
魑魅魍魎(ちみもうりょう)も影ひそめ
金波銀波の海静か
2013年6月12日
成嶋弘毅
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