私は子供のころからどちらかと言うと、日本人の伝統的生き方に 寄って成長したと思っています。
親が事業を営んでいたため経験した経済的浮き沈み、成長してからの自分自身の変化にも、自然親からの教えに沿って生きてきたのです。
ティーンの反抗期にもその荒ぶり(Crazy)を治める基本はすべて母からインプットされ、操作、誘導を巧みに受けました。
ではそれが何であったか。当然自分自身の質もありますが、私を操作、 誘導した大きな動機は、いわゆる『武士道』に依拠した躾けであったと現在この歳を迎え、確かな実感を持ってお伝えします。
では、その毎日がどのようなものであったか。
一日の始まりである朝のルーティーンは、洗顔を済ませ親に挨拶に行きます。朝餉は、先ず家長が席に付き、家族の挨拶から始まり、済んだあと、それぞれの仕事に散って行きます。
例え、家長が不在であってもそれは変わりません。
家長の席には陰膳(不在の家長の為に用意された食卓)が据えられ、皆がそれに向っていつも通りの礼を尽くすのです。
従って家長は家庭内では絶対的な存在でした。
親は敬われる立場であり、また親自身もそうあるべく努力するのです。
更に周囲がその雰囲気を守り、長が不在の時もその力を存在させるのです。
何か私が間違いをすれば、お父様が在宅であれば許されません。その一言で全て治まり、終るのです。
父は私が小学校にあがる直前に亡くなりました。でもその存在は家から消えることはありませんでした。
母はことあるごとに如何に父が偉大であったかを私に語り、そのあり方を誇示しました。
従って私はその陰にずっとコントロールされ続けたのです。
今にして思えば、父を失った家庭がどうして規律と秩序を、跡取りが成長するまで守り抜くかと言う日本の伝統的知恵であったのです。
それは経済的状況の変化にも形を変えながら保たれました。
もし、貴方が母親から貴方の父親は酒にだらしなく、職場でも芽が出ない駄目な人だ。
そう教えられて育ったら果たして親の言う事を聞くでしょうか。
“それは作り上げられた偶像だ”と言う人もいるかも知れません。
しかし、ご神体、ご神仏も不遜ながら人の作り上げたものではありませんか。
そこに魂を入れ、信じることに寄り、偶像も実像に昇華するのだと思います。
今回、日本を襲った悲劇的災害に寄せ、各国からの日本人に対する評価を
見るに付け、それを嬉しくもまた複雑に受け取ってしまうのです。
特に原発の補修に携わる勇敢な人々を讃え、それは日本人が育んできた教え
に寄るものだとニューヨークタイムスが書いておりました。確かにそれは言えます。
さらに、欧米諸国の原子力に対する知識は日本人のそれを上回るでしょう。しかし、日本は唯一それに寄って攻撃を受け、被害を受けた国民である事も忘れてはなりません。恐ろしさは身を持って体験してます。
にも関わらず、その恐怖に立ち向かう勇気は、日本の風土が育んで来た精神がそうさせているのです。大和心から出た魂こそ、今、また見直して見たい日本人の良心であり、それを象徴していますのが『武士道』なのです。
だからこその『武士道』であり、古い日本の知恵なのです。
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