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サムライの敗北感とは

サムライの正しさは決して一般的なものではないことを弁えなければなりません。先ず理由は問わず、負けは認めない。サムライの負けイコール死なのです。大変面白い映画がありました。三島由紀夫氏原作の『剣』と云う題名で監督三隈研次、主演は市川雷蔵と川津祐介でした。映画は三島氏が自決する少し前の作品です。その中に氏の自決を予測出来る演出が施されていたことを見た人は何人いたでしょう。物語はある大学の剣道部を舞台に描かれております。主演の市川雷蔵はそのキャプテンで実力人望ともに抜群。次に控えた川津祐介の役は副将の役目。雷蔵扮する主人公はいかにも率直、二道を持たない一直線の生き方を選んだ人間でした。片や川津の役は面白可笑しく送る人生を選んだ今風の若者です。全日本剣道選手権大会優勝に向け設けた合宿で主将は意図的に誘惑の多い場所を選び、剣道の修行に専念させようとしたのです。その途中副将役である川津祐介は主将不在の折り止められていた水泳を部員にさせました。折角海に来て泳ぎもしないのはナンセンスと副将は部員に話し、部員もそれに従ったのです。主将が留守の間であれば良いと云う考えもあったのですが、折悪しく剣道部部長を出迎えに向かった主将が近所の人に出会い車で送ってもらったため帰りが予測を超えた早さでした。泳ぎからバツの悪い部員達が戻り、部長から『この合宿は剣道部のものではなく水泳部だったのか』と云われ主将である雷蔵は一切の言い訳をせずその事実を受け入れ部長に謝罪しました。その翌朝主将の自殺死体が発見されました。さて、皆さんはこの自殺をどう受け止めるのでしょう。統率の出来なかった責任を取ったのか、至らなかった自分への責めか、失望による挫折感からか。いいえ、そのどちらでもないのです。サムライの負けを認められない矜持からの敗北感なのです。これは三島由紀夫氏の最期であった自衛隊市ヶ谷駐屯地での自決に同じなのです。罪を犯した謝罪でもなく、挫折からの失望による自殺でもないのです。正にサムライの矜持である負けられない思いが敗北感を強め、そこに残された道は死のみだったのでしょう。さらに“剣”の中で武士道を表したのは銃で撃ち落とされた鳥が主人公の目前に降り立ちそれを哀れに思い抱き上げました。するとその鳥はその手から飛び立とうと羽ばたき、結局はまた堕ちて来たのです。再度抱き上げた主人公はその鳥の首を捻ろうとします。その心は“見苦しい!ならばいっそ命を絶ってやろう”の激しくも過酷な武士道なのです。三島氏はそこで武士道の危うい部分を紹介したかったのでしょう。お判りになるでしょうか。現代では全く想像を超えた理念なのです。

 

2010年10月6日

一風