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心の熱

 

『心の熱』

 

森羅万象、全てのものには温度があります。自ずから出たものも、他の影響を受けての温度などもあります。今回のお話は人間が持つ感情の温度を取り上げて見ました。

 

常々僕が怖れるのは熱なのです。それも極端に上がった熱とその冷め方です。 

では少し具体的な表現に切り替え、お話ししましょう。

 

肉体的な熱は、熱が下がると悪い状態が癒え良い結果が得られますが、感動や恋愛は決して下がる事を良しとはしません。返って良くない結果をもたらします。

 

何れにしろ熱はなければ問題で、また高すぎても問題が起ると云う厄介な代物なのです。 

先ずは恋愛ですが、熱が上がって行くのは好ましいとしても、極端に上がっては周囲に及ぼす影響もさることながら当事者も決して好ましい心境や平常心を保てなくなる場合が多いのです。その結果、それが覚めた暁には気まずい問題が起きますことは皆さんご存知の通りです。男性女性を問わず、知り合い日も浅い内に相手を過度に評価し、素晴らしい、美しい、偉大、立派を唱える人間をまま見受けます。その結果まるで熱から醒めたかのように全く無関心と云うか、既に興味なしと云う態度に戻る人間も存在するのです。 

失望は正に過度な評価や感動の後遺症のようなのもです。 

相手を過度に評価した人間も自分の所為で醒めたのではなく相手がそうさせたのだと、思っているかも知れませんが、何れにしろそれは謹むべき行為であると思います。例え何かの理由があったにしろ、過度な評価を与えた自分にも責任がある事を知るべきです。ならば、事後の熱の冷え加減も温度差も心臓麻痺をおこさずに済む程度である筈です。 

『巧言令色鮮し仁』“こうげんれいしょくすくなしじん”意味は、巧みな言葉は“仁”に欠ける行為と云う教えです。例え理由があったにせよ、人間としての徳に欠けると言われるのです。簡単に言えば豹変は無責任であり、紳士が見せてはならない卑怯な行為です。 

マスコミ批判に繋がりますが、人を持ち上げたいだけ持ち上げ後は受け止めない無責任です。歴代の日本の総理大臣の多くはその洗礼を受けています。それでも持ち上げてもらえば良いと思っているのであればそれも良しです。

 

それ同様に恋愛も然りです。浅はかな感動で自分自身も、更には相手にも深い傷を負わせる事と知るべきなのです。であるから僕は感動の後には失望が付いて来ると言ってしまうのです。情熱や感情の熱は良い事なのですが、極端に上げてはならない危ういものと知るべきです。天の邪鬼と思われるでしょうが僕は簡単に感激.感動.関心する人は信頼が出来ず逆に危うさを覚えてしまうのですが、残念ながら今の所僕のその考えは当たっているのです。男性は女性との付き合いも慎重を期し、かりそめにも本心でない心を相手に示してはならず、これは仕事上の付き合いに対しても言えることです。それが男子の心得ではないでしょうか。しかし、その時はそうであったが事情で変わったと言う意見に言いたいのは、その時は確実にそうであったと言い切れますか。と問いたいのです。

 

2010年8月11日

一風