今年もまた桜の季節が訪れました。まだ先週は冷たい冬の名残が開花の時期を遅らせましたが、今週末はきっとお花見日和となることでしょう。
毎年この時期になりますと僕の頭に浮かぶ和歌があります。その中から又ご紹介しますのが下記のものです:
風誘う
花よりもなを吾はまた
春の名残をいかんとやせん
これは赤穂藩主であった浅野内匠頭が詠んだ辞世の和歌とされております。
“風に吹かれ散る花以上に春を惜しむこの心を私はどうすれば良いのか”と言う意味です。未練にも本音にも聞こえます。この思いは誰もが経験し、それを経て成長するのではないでしょうか。日本の和歌は自然の理と日本人の大和心を織りなした素晴らしく優れた表現方法であると誇りに思います。
そのような我々の心底にある未練心を立ち切る和歌が下のものです:
散らばこそ
いとど桜は愛でたけれ
この世になにぞ久しかるべし
“桜は散るからこそ愛でたいのです。それにこの世に終わらないものなんてありますか”その通りです。正にこの世に何ぞ久しかるべしです。永遠不滅はないのです。
“花は桜木、人は武士”今や滅多に聞かない言葉ですが未だに残る故事です。一つだけ選ぶならば花なら桜、人なら武士と言った時代がありました。
それも今や遠い彼方に薄らと残るばかりです。どちらも散り際の潔さが問われます。この言葉に何か清々しさを感じさせませんか。日本人の文化がそこにあるからです。
腹の足しにならない価値観を尊ぶ文化が大和心だと思って居ります。
2010年4月2日
一風
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