日本人に欠けた所は簡単に謝れないのと気負わず(気楽に)抗議の出来ないところです。それは非や過失を認めた責任を負うからと云う訳ではなく、謝れない心が何処かにあり、何事にも気軽に行動が出来ない頑な心が邪魔するからです。その点で日本人はいまだに公衆道徳やマナーにおける野蛮人なのかも知れません。貴方は西洋人と道ですれ違いざま肩が触れ合った事はありませんか。ほとんどの西洋人は自分から触れようが相手からであろうがSorryまたはPardonと云います。それに反し日本人の多くはそんな時、何だと云わんばかりに相手を見やったり不快感を露骨に現します。それは良いマナーではありません。SorryやPardonは謝罪のように大袈裟なものではなく礼儀です。僕は60才の時痛風がおき、それを境に少しでも運動量を増やそうと車での通勤をやめ電車を利用しております。然し、不愉快な思いは後をたちません。つい先日のことですが明らかに僕を突き飛ばして行った老年の(紳士とは言い難い)男性がいました。下車する為に急いでいたのであろうと思って見たら場所を変えただけで下車をする様子はありません。突き飛ばされた理由が判らなかったので”貴方に突き飛ばされる覚えはありませんが”と抗議すると”あんたが邪魔だから避けただけだ”と云います。
”ならば言葉で注意するべきです”その言葉に対し”突き飛ばしたか避けたかは見解の相違だね”と云います。これ以上関わっても仕方ないと思いながらも腹に据えかね”良い歳をして屁理屈をいいなさんな”と云ってやりますと即座に”あんたもね”と言い返して来ました。それを聞き、これまでと以後無視しましたが、観察しておりますとそれだけの事を云っておきながら読んでいる本がブルブルと震えているではありませんか。人に喧嘩を売るのであればそれなりの覚悟が必要です。きっと今迄もそうやっては人に嫌な気持を味合わせながらも抗議も受けずに済んでいたのでしょ。度胸はないまでも自分の感情を曝け出した後、それを繕う卑怯な年配者の知恵を使うより“エッ!そうですか、それは失敬”と、とぼけられたらどうしようもないところです。しかしこういう輩に抗議もせず泣き寝入りするのも日本人の間違った行儀の良さではないでしょうか。良くも悪くも正々堂々が日本人に一番似合った潔さではないかと僕は思うのです。
2010年2月12日
一風
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