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決闘

決闘と聞くと物語りの上か映画やドラマなどを連想するのが常識ですが、僕に取っては少年時代の懐かしく生々しい想い出が蘇ります。1950年代から60年に渡って中学、高校時代を迎えた方ならば少しはその当時の風俗習慣が理解出来るかと、今回葉隠塾のホームページに載せて見ました。それ以後の若い方々はそんな時代もあったのかと思いながらお読み下さい。

 

1昨年(09年11月)のこと、大阪府警が「決闘」容疑で堺市内の中学生グループを書類送検した事件です。

 

それは、対立する中学生グループ同士がなりゆき上「決闘」を実行し、大阪府警少年課と西堺署で11月20日、決闘容疑などで、堺市内の市立中学に通う14歳の男子生徒を書類送検したのです。少年達は決闘の実行に先立ちルールを決めました。内容は、武器の使用禁止、素手で行う。だが相手が降参したらそれ以上の攻撃は加えない。と云う勇ましい取り決めです。

 

「決闘の理由」は関東で云うガンを飛ばした飛ばされたで、関西では「メンチを切られた」と云うものです。なお、グループのリーダー同士が事前に携帯電話で連絡を取り日時を指定、双方メンバーを選抜して六対六の構成で正々堂々と決闘に臨んだと聞きます。

 

送検容疑の非行事実はその夏、堺市内の空き地で6人対6人の決闘を行い、参加した13歳の男子生徒2人に顔面骨折や頭部打撲などの怪我をしており、これは間違い無い障害罪ですが、双方共に訴えはなかったらしく、事件の発覚が遅れたのだそうです。ところが明治の維新後、明治22年に定められた江戸時代に認められた果たし合いや、あだ討ちを防ぐため決闘防止法と云う法律が発令されたのです。それを犯した罪は2年以上5年以下の懲役が課され、立ち会いや場所の提供者も罪になるのだそうです。廃藩置県、排刀令が出された新政府以降ももう既に存在しない藩主からの仇討ち免許を有効とし、決闘を行う人間がいた為に施された法律との事です。

 

今回の決闘で怪我を負った少年はお互い納得ずくのこととし、告訴などしなかったのです。しかし、傷害罪は申告罪であっても決闘防止法と云う法律が在る以上双方納得ずくと云えども警察としては告発しない訳には行きません。それで事件が発覚した訳です。

 

これを知り、僕はすぐに最近話題になった映画作品を見ました。なる程この映画の影響はあるだろうと思い、アニメ制作を生業とする僕もその責任を少なからず感じながら、十代の頃(1950年代~60年代)を思い出しました。それはまだそこかしこに軍国主義の名残りや男子が男子である事の重要性や価値観が残っていた頃です。成長期にある少年達へ与える時代の影響も恐ろしいほどにありました。

 

僕の少年期には、何だ男のくせに。女々しいぞ。それでも男か。男らしく生きろ。男のする事では無い。男子は常に正しく、心身共に潔(いさぎよく)、人に蔑(さげすむ)まれたり侮(あなどる)られることを苦痛とし、努力精進しなければならない。など数え切れないほど男を意識させ、縛る言葉がありました。それによって男らしく生きる事に性を出して頑張った頃を懐かしく思い出します。 

僕は上の非行少年達のそのおとこぎ(=侠気)において称賛したく、同時にその手段において問題も感じます。

 

それは武士道に発します。武士は武士道を守るの一言から、友も失い愛する人間との別離(分裂)も生まれ、罪を犯せば切腹もあったのです。それは武士に課された厳しい掟でした。だからこそ武士は身分を認められ尊敬もされたのです。お百姓、職人や商人等の町人は当然法律以外に縛られる掟はなく、代わりに仇討ちや決闘の武士の権利も得られなかったのです。その代わり当然仇討ちのような義務もありません。武士は意志があろうと無かろうと仇討が義務となれば武士を捨てない限り、果たさなければならなかったのです。然し、赤穂浪士のような例もあります。徳川幕府は彼等に仇討ちを許しませんでした。されど武士の意地を果たした結果切腹となりました。それでも彼等は本望だったのです。命と引き換えの武士の意地です。

 

その昔、武術に深く興味のあった僕に今で云うヤンキー=不良少年のそのやりかたに怒りを感じ、対抗したことがありました。少年と云えど、それなりに組織に関わっている者もあり、面倒な相手であった事は確かですが、そこで引くのを潔しとしない自分がいたのです。思いあまって相談したのがある顔役だったのですが、彼等との経緯を説明し助力を要請しますと。僕の名を呼び『弘毅さんは他の世界で男を立てる人だろう。同じ土俵でそいつ等と張り合って奴らの境界を侵すことも良くない。人をやって話すからもう止めなさい』と云うのです。それは大山倍達師へ空手道への入門を懇願した時と似ていました。言い方は異なれ他の世界で男を立てろと云う意味では同じであったように思います。空手は断念せずに続けましたが、不良との仲間入りはその時点で思いとどめたのです。それから不良達からのチェイスは全くなくなり、僕も住む世界の違う相手に張り合ったり刺激するようなことは慎み、以後彼等のことは全く気にならなくなりました。だからこそ今でも善良である筈の青年が不良の真似をするのが気になります。侵してはならない他人の境界だからです。侵すのであれば大阪の非行少年のように自分のケツは自分で拭くと云うやり方でやって欲しいものです。同時に善良な人間への手出しはすべきではなく、手出しをされた人間も自分が彼等の境界を侵さない限り暴力には訴えず、法を拠り所に正々堂々と立ち向かうべきなのです。

 

これは馬鹿馬鹿しい例です。家族との団らんのある日、息子と二人喧嘩を売られ、相手が侵した境界侵犯と理解しその喧嘩を買ってしまったのですが当然相手は不良としての不文律を心得ていると思ったのはこちらの間違いで、怪我をしたら警察官を伴い現れたのには笑いました。人の大切な家族の団らんを侵した不良でも怪我をすれば法が味方してくれるのです。現代はヤンキーも善良な市民も差がない程に安心出来る公平な法律があると云う証です。

 

そう云う現代にあって、今回は大阪の非行少年達にエールを送りたいのです。

 

2010年正月

一風