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平等とは

福沢諭吉『学問のすすめ』にある「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」ですが、その解釈と背景は、人は皆平等と解釈されるのが一般的常識ですが、実はその逆で”人間は往々にして不公平なのだ。その不公平に立ち向かう術は唯一知識。”だからこそ学問が必要と福沢諭吉は訴えたのです。
 
更に福沢諭吉の代表的主張にもう一つ『独立自尊』があります。それは氏の戒名にも使われました。なおその言わんとするところは「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云ふ」と言っております。 
“一身独立して一家独立し、一家独立して一国独立し、一国独立して天下も独立すべし。”とあります。国民一人一人がIndependent(自主性を持った存在)であれば延いては国力も増すと言う意味です。それは現代社会においても充分通用する理念です。
 
なぜ、独立自尊の精神が必要なのか。それは『独立心の無い人間は必ず人を頼り、人に頼ればいずれ必ず人を恐れるようになる。人を恐れれば、次は必ず諂う(へつら)ようになり更には人を恐れ、諂い始めるし、それに馴れると恥じる心が薄くなり、言うべき問題も言えず人さえ見ればただ媚びるからだ』と福沢諭吉は極端な表現も使っています。
 
それはさて置き人間の求める状態は何時の世にも”平安”こそが究極なのです。平安とは、”天下泰平.家内安全”の事です。我々は意識するしないに関わらずその理念を一義に生きているのです。それを妨げると見なした相手や事柄に立ち向かうのが”独立自尊の人”と呼ばれるのです。
勿論お乳だ出る筈もないのですが、それでも子猫は喜んでそのお乳にしがみついたのです。そこで出来上がった犬と猫の疑似親子の姿は微笑ましいものがありました。生き甲斐を見付けたプードルも実に幸せそうでした。しかしその幸せな日々も長くは続かず、ある日子猫はよその猫に噛まれ、それがもとで破傷風にかかりあっと云う間に死んでしまったのです。病んでいた子猫を看護していた時のプードルの心配そうな眼差しが今でも思い浮かびます。子猫の死で失望したプードルはそれから間もなく後を追ったのです。生き甲斐を失ったのです。動物や人間に関わらず生き甲斐とか心の拠り所が如何に大切かが判ります。例えどんなに強い人でも、又犬や猫も孤独では生きられないのです。可愛がられたご主人の死に悲しむ犬の行動は恩に報いる”義”にも見え、そのお孫さんへ移した愛もまたそう見えるのです。動物の本能的原理。犬猫ですら持つこの感情に人間として理屈抜きで流されて見たいと思います。
2009年10月30日