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義と利

武士道の優先順位からすれば“義”は当然“利”よりも最も優先されるべき規範なのですが、果たしてその通りであるかは疑問です。個人を捨てれば尚更のことで、従える組織や家の為にはリーダー(将)として義以上に利を優先すべき立場に立つことは確かです。民や家臣を犠牲に義を果たすことは愚将の誹りを免れません。家(=一門が集う組織)が有ってこその主であり家臣なのです。すると結論から言えば家に取って不利であったり損失の確率の高い案件は不可となって当たり前ですが、そこに義理や恩義などが介入して来る場合は少し面倒ですが、公と私を分ければ瞬く間に割り切れる問題です。私を公以上に優先する事は義に叶わない行為となるからです。 

 

従って公の場において利は多くの場合義に勝るのです。 私の義を果たす為の自己犠牲は当然自由で縛られるものではないとしても、家族がその影響を受けるとなるとこれは公の義と照らし合わせねばなりません。当然家長としては家族がそれに殉じてくれれば誉れかと言えばそれも又違うのです。100%それを受け入れると家長として家族への義が立たなくなってしまうのです。家長個人の義は自分以外の家族を巻き込んではならないからです。それにしても自分を犠牲にする時点で家族へかける迷惑は如何ともし難い我が侭そのものなのです。自分勝手の誹りを受ける事になります。義とはあちらを立てればこちらが立たずのディレンマの連続なのです。

 

2009年8月8日