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強者達の残日録

今回のアメリカ出張で、長年同じ時代に生き、お互い商売上、切磋琢磨を重ねて来た方々と久々に逢い、感じたことをそのまま書いて見ました。その方達は僕よりも10歳以上の先輩でもあります。
 
多かれ少なかれ我々は、この世に生まれたからには限られた命が燃え尽きる間に何かを成し遂げたいとか、せめて出来ることなら名も残したい。などと言う思いを抱かない人は国籍を問わず少ないのではないでしょうか。とは言え、若いときは生命は期間限定と言う観念はなく、ただ目的に向かい、がむしゃらに邁進します。生命の限界を実感し始めるのは65歳を過ぎた頃だろうと思うのですが、それからは一年毎にその限りあることの実感が増す為に人によっては70歳を越えた当たりから目的達成への諦めも出て来るように見受けられます。しかし、中でも成功者と呼ばれる方々は、既に人生において安定感と確信を得ており、目的の為に燃やした情熱はもはや永遠に戻らないことを知りつつ、諦め断念することを自分で納得させてしまうようです。それに代わり納得出来る積み重ねの成果があるからでしょう。諸行無常を感じながらそれぞれの価値観を垣間みる思いです。そうして考えて見ますと夢の実現だけが幸せの実体と信じて来たことが大きく揺れ動きます。何故なら、それでは人生は結局自分に都合の良い妥協になってしまうではありませんか。もがき苦しみながらも自ら動機付けし、鼓舞し、支えて来た精神を今度は残念ながら、いとも簡単に放棄してしまうことも人間の性なのでしょうか。
加齢と健康上の理由からの諦めによって目的や夢を支えて来た束縛から解放された人間は同時に活気とパワーも消えていることを皆さんは感じることがあるでしょうか。世を捨て、世に忘られ。ただ自己の満足感で生きるのも僕の内では美しいとは思えないのですが、しかし、僕も例外ではなく、やはり時期が訪れればそのように変化してしまうのでしょうか。確かに人間は本能的に言えば苦しみからは逃れたいのです。楽が一番と理解しつつも苦しみ、もがきながら夢を追い続けることを捨てたくない。と、今回改めて確信しました。
 
これも実話なのですが、仕事人間として50代まで脇目も振らずやって来た方がゴルフと巡り会い夢中になり練習もラウンドも時間の許す限り楽しんでいたのですが、後年運悪く癌にかかってしまったのです。それにも関わらず退院すると酸素を引きながら練習場に通い、ラウンドはカートに乗りながらも続けたのです。それも叶わなくなり床に付き、意識も薄れて行く中のうわ言で「あった~!助かった」と、ロストボールを見つけたり「はいったぞ~。!バーディーだ」と意識の中でゴルフを続けておられたそうです。その方の老後を最後に支えた夢がゴルフだったのです。それを聞いたご家族もいくらかは気が晴れたのではないでしょうか。これから察しても人間はいつまでも、夢を捨てたり諦めてはならないのです。生への執念を捨てない限りパワーも残り、その人間を支え続けるのではないかと感じたのです。
2009年8月1日