五月の中旬に見た映画です。馴染み深いクリント.イーストウッドの監督主演の作品で、米国民として朝鮮戦争に従軍し戦い、死の寸前迄追い込まれたり、また生きた人間を殺傷しながら、運良く退役し当時最も盛んであった米国の自動車産業でその製造に携わり生き抜いて来た老人のお話です。
ストーリーは映画を見て頂くとして僕の感じた感想などを先に紹介したいと思います。人間はその経験により知識を積み重ね何時か自信となり自分の歴史に確信を持ち始めます。それが更に歳を重ね絶対的な確信になって行きますと、自分の概念に無いものは認めず否定するようになるのです。この映画でのイーストウッドの歳は設定から察しますと75歳前後と思われます。連れ合いに先立たれ老犬との孤独な生活です。
二人の息子がおり孫にも恵まれていながらも人と相容れない因業さが災いし、身内からも敬遠され、それも気にせず我が道を思うが侭に歩んでいるのです。その後ろ姿から何とも言えない思いが生じ身につまされる思いを否定出来ませんでした。自信確信イコール独善となる図式はどんな世代にもあると思います。知るか知らずか結果、因業爺となって行くのでしょう。されど僕はこの主人公の生き様に強い共感を覚えるのです。生死の境を経験し、悟った死生観。生真面目な正義漢にして愛国者。だからこその頑さ。誰にも止められないパワーを感じます。
アメリカの年寄り(特に白人)に多々見受けられる人種的偏見。黒(黒人)や黄色(黄色人種)は大嫌いと言い切る傲慢。されどその人間が弱者であり強者から迫害や虐めに合うのを見れば見過ごす事の出来ない正義感。正に“義を見てせざるは勇なきなり”
。なのです。
如何なる事にも義を感じれば立ち向かう勇気。そして男としての肉体的強健さも維持する。忘れかけていた古き良きアメリカ人気質を久々に見た気がしました。齢を重ねた今だからこそひたすら信じる事に邁進出来るのです。生き方が異なれば身内に否定される事も厭わず、本来嫌いな黄色い友達の為に命を賭ける。訳の判らない爺のようですが、僕は判るような気がします。
“孤高”とはそう言うことではないでしょうか。暴力によって暴力を制した筈がその結果助けた女の子が酷い目に合ってしまいます。考えられなかった訳ではない結果を回避出来なかった自分を悔い、単身その決着に向かいます。
クライマックスです。今度は眼には眼、牙には牙で立ち向かわず完全に相手を葬り去るのです。本人にとっては最高に平和なフィナーレだった事でしょう。ついに自分を完結させたのです。正義を鎧に常に武装(精神的にも実質的にも)を解かずに生き、終わる事の出来た数少ない男だったのではないでしょうか。
己を核に意識の城を築き、そこに籠れば当然の結果他の者とは不和を生じ孤立するのは言うまでもありません。されど自分が好み、信じる道であれば誰憚(はばかる)ることがあるでしょう。勇気ある孤独は高齢者の果てしないテーマではないでしょうか。
年寄りの生き方には迎合を拒み、孤立する目的ではなく自分を守り抜く様を残し、後に伝える意味もあるのです。若者も何れは歳をとり先輩の歩んだ道をなぞるのはその証です。
子供叱るな来た道じゃもの
年寄り笑うな行く道じゃもの
今回は僕の見たGran Torinoをご紹介しました。
2009年6月13日
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