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賢しら

最も僕が敬愛する教育者はお茶の水の文化学院創設者である西村伊作先生です。しかし先生の教えの中で、“何故、どうして”が消えなかった事があります。それは『知識や能力を誇るな。競うな。』でした。 
競い合い、勝ちを得る事が誉れではないのか。知識も能力も人に勝るからこそ誇れるのでは?の思いが先に立つていたからです。長い間その思いは尾を引き僕に疑問を残して来たのです。まるで呪文を投げかけられたかのように何と 50年近くも頭から離れることなく残りました。そして今やっとおぼろげにその真意が見えて来たように思います。それは努力して得た知識も能力も貯え、用いながらも本来競い誇る道具ではないと言う事です。 
 
教養や業務上の高度な知識とかのアカデミックな能力は別とし、軽いところのお話で、笑えるような例を引用させてもらいました。 
Aさんが嬉しそうに話しました。『イヤー驚いたよ。麻布の××で食べた北京ダッグが今まで味わったことのないほど旨くてネー』それを聞いたBさんは早速『XXの北京ダッグですかー。あそこのもまーまーですが僕が贔屓にしている新橋の○○と比べたらどうでしょうかねー』と来ました。
Bさんは人が自分の興味のある話題を持ち出すと、どうしてか黙っていられない質なのです。これは洒落とかでかたずけられる問題ですが、されど相手を慮(おもんばかる)ればその行為は無益なアピールであり、しなくて済む自慢話な訳です。もしかしたら我々も自分の中にBさんを持って居るかも知れないのです。西村伊作先生の教えはこれにも通じるのではないでしょうか。競争を目的としたイベント以外の状況で知識や能力を誇る行為は自己満足であり無意味につきるのです。
 
古くから嫌われた行いに小賢(こざかしい)しい振る舞いや、賢(さか)しらな口利きがあります。意味は両方ともいかにもものが判ったような言動の利口振った人間を指したものです。そこで競い勝ってどうする。誇ったからってどうなんだ。の戒めなのです。美味しく素敵なお店の自慢話を聞かせてくれる方は多いのですが、お話だけで御馳走までしてくれないのは何故でしょう。御馳走が出るならば自慢話も我慢して聞けるんですがねー。
2009年5月8日