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武士道における武将の帝王学

はまだ先に続くであろう戦国乱世の末を読み取り、その時点で恨みをかう愚かを避けたので しょう。まだそこには全ての免罪符となる天下泰平と云う”大義”名分が整っていないと云う判断を下したのだと思っています。ここ一番の勝負と判断すれば即“一刀両断”も武士道なのです。皆様も良くご存じの“関ヶ原の合戦”で家康はありとあらゆる策略知略を用い勝ちに行き、そこには任も義も無しと感じる武将だけに理解出来る大義がありそれを支えに堂々と敵を討つのですが、そこで敗れれば瞬時に覚悟を決め、死を択ぶのも武士道でありながら、醜態を晒して落ち延び再起を計ったこともあるのが家康でした。面子を度外視したしたたかさも武将の条件なのです。

 

これが勘定を忌み嫌うと印象される武将の計算なのです。武士道においての金勘定は卑しいと云う印象が持たれますが、果たして実際に武士は計算をしなかったかと云うと差にあらず。それなしに軍資金や兵糧の準備が出来たでしょうか。武士の決断は損得で計らないが、結果を求め割り出す計算は当然行われました。葉隠に云う『勘定者はすくたるる者なり』からは除外される武将の戦略的且つ人文主義的な数字のない計算なのです。

 

現代の実業家や政治家にもそのリーダー(武将)を補佐すべきスタッフが配置されます。従ってリーダーその人が数学者、法律家、化学者である必要はなく武将同様専門知識はなくても戦略的判断が下せる能力を持っていれば良しと云う事です。しかし、得意であれば弓を引き、刀をとり槍を使うもありとしても、主には軍配を振るに相応しい人格と能力を問われるのが武士道における武将の心得なのです。武将とは武将しての帝王学を持った専門職であらねばならなかったのですが、果たして現代でそれは不要なものでしょうか、、、? 

ごく最近の雑誌に、仕事が出来る人の『しないことリスト』と云うものが紹介されており、その中で天下人3人のうち織田信長は“部下を安定させない”豊臣秀吉は“無能な上司につかない”徳川家康は“目先の利益を捨てる”でした。私が納得したのは二人だけで信長の“安定させない“はそれが後の明智光秀の謀反を招いたのではないかと云う事です。取り立ててはくれるがその裏に逆鱗に触れれば討たれる恐怖が付いていた訳です。いずれ信長は誰かに討たれたであろうと思わせるふしがあります。恐怖心は人を抑えもしますが恐ろしさに耐え切れず裏切りに走らせる場合も有るのです。『窮鼠猫を噛む』そのことです。人や動物には安心や安定が必要なのです。例え如何なる強靱な精神力の持ち主であっても気を張り詰める期間が長ければ耐え難い事となる証しです。

 

本能寺で信長が討たれた時、回りを守った軍勢は戦う為の構成ではなく、更に滞在先も城や砦ではありませんでした。天下を掌中に治めたと錯覚した権力者の奢りが招いた悲劇ではなかったでしょうか。“攻め手は誰か”との応えに明智光秀ですと聞いた信長が即座に漏した言葉は、“ならば是非に及ばず”。と、瞬時に出来事の因果を判断し、間もなく訪れる結果を悟ったのです。思い上がった報いと相手の能力を知るが故の覚悟であったろうと思います。せめて“自分の首は取らせまい”との矜持だけは守りました。

 

武将にとっての“任”は『本質的条件(原理原則)=Principle』なのです。上に上げました雑誌にも、現在の企業人にも私が感じる(意図)は織田信長的思考なのです。刺激的に革新的であり、憧れるべき力強さはあれど忘れてならない事は信長は天下を手にする事が出来なかったと云う事実です。

 

それ故に今回は武将の帝王学として“ノーブレス.オブリージ”と“任”を提唱致しました。

 

2008年7月  塾長 成嶋弘毅