我々の良心を形成する心に春秋時代の孔子から始まり2500年もの長い間、中国からの思想に大きな影響を受けて来た跡が多々見受けられます。しかし、現在の残念な日中関係を確認するに付け、日本が昔寄せた中国思想への尊重と憧れに近い敬意は何であったのか考えてしまいます。そこで少しでも中国を知りその思想を見直す為に私の好きな論語をいくつか選びご紹介します。
論語は回数諳んじることでその意味がいつのまにか実感出来るような気がします。お試し下さい。
人は以て恥ずること無かる可からず。恥ずること無きを之れ恥ずれば、恥ずること無からん。
『孟子の言葉:恥じを知り、恥じ知らずを恥じれば恥じることはなくなる。と云う意味ですが、日本のモラルにも”恥じ”は大きく扱われております』
虞らざるの誉れ有り。全きを求むるの毀り有り
『孟子の言葉:行為に対し思ってもない賛辞をうけたり、完璧と確信したことが非難されることもある。毀誉褒貶(=誉め貶す)は人の世の常。何がどうなるか計り知れないことに一喜一憂せず堂々と信じた道へ従え。と云う戒めです』
人を疑わば用うる莫かれ。人を用うれば疑う莫かれ
『原文は(疑人莫用、用人莫疑)で圧縮された判り易い表現です。 信じられない人間は使うな。使うからには信じろ。と云うことです。』 上記の教えは確かですが、されど対人関係においては感働き(Sixthsense=第六感)に拠るところが私には多々あります。猜疑心とは違う危険察知法と思っています。先ず第六感に問った後に判断致しております。
君子は器ならず
『君子は使い道のきまった器物であってはならない。と、云う意味ですが、なにか千鈞の重みを感じ好きです。』 いわゆる高嶺を望むならば自分を限るな。人間は人間であり器ではない。従って無限の可能性を持て。と云うことでしょうか。
2008年6月末日
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