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太田道灌

江戸城を創建(はじめて建てた)した武将です。 

武士道を語る上で大切な事は常に死と直面した武士(もののふ) が心に余裕を持つ教養の一部として取り入れたのが詩歌(和歌)です。 

その説明に太田道灌をはずし語る事はできません。

 

勇猛果敢な武将として知られた道灌がある日、狩り(狩猟は戦の演習として武士に親しまれていました。)に出かけ雨に降られ、百姓家に蓑(みの=かっぱのようなもの)を借りに立ち寄ったことから始まります。

 

百姓家の女房(奥さん)が出迎え、蓑の代わりに扇子の上に山吹の花をのせ道灌に差し出したのです。 

それを見た道灌は、蓑を貸せと云うのに山吹の花とはこの女は何を考えているのだ。と、怒り始めたところ、家来(主人に従う者)の一人がそっと道灌に云いました。殿、これには秘められた意味があります。 

古くからの和歌で:ー

 

 ”七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだになきそ悲しき”とあり、貧しく蓑もない事に”実の一つだになきそ悲しき”とかけたのです。その言葉を聞いた道灌は己の不嗜み(ふたしなみ)を恥じ、それ以後歌人としても一流と呼ばれる人になりました。

 

 江戸城創建の折に詠った一首に:ー

 

    我が庵は松原つずき海近く           

      富士の高嶺をのきばにそ見る 

 

悲しい武士の運命で、その道灌も闇討ちにより最期を迎えました。 

敵の槍が身体を貫いた時、相手は道灌が歌人である事を承知で次ぎのような上の句を詠んだのです:ー

 

     *『かかる時、さこそ命の惜しからめ』 

     訳 ”こうなると、さぞ命が惜しいでしょうね”

 

それを薄れて行く意識の中で受け、少しもひるまず下の句を続けました。

 

     *『かねて無き身と思い知らずば』 

     訳 ”常日頃覚悟が出来ていなければ”

 

死に直面しながらもなお、冷静沈着な余裕は侍として常住死身の覚悟が出来ていたのでしょう。

 

因に昭和の侍であり私が敬愛する三島由紀夫氏が残した辞世の一首を紹介しておきます:ー

 

    散るをいとふ世にも人にもさきがけて 

               散るこそ花と吹く小夜嵐 

 

散る事を厭う世の中や人よりさきに、散るこそ花と夜吹く嵐。 

”武士道と云うは死ぬことと見つけ候”散るこそ花、の意識は死ぬこそ侍と云う厳しさでしょうか。 

 

小夜嵐とは、三島氏の止むに止まれぬ大和魂だったのでしょう。

 

 

葉隠塾 塾長成嶋弘毅