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和して同ぜず

子曰 君子は和して同ぜず 小人は同じて和せず

 

その意味は、人格の出来た人は人と接するとき、やわらぎ(和らぎ)親しむけれど、いつも道理を考えているので、みだりに媚びたり必要以上に親しんで迎合したりしない。その反対に人格のできてない人は、相手に媚び親しんで迎合するが損得を考える為、権力や勢力争いなどをおこし、結果本当に和らぎ親しむことができない。と云うものです。

 

すなわち、和らぎ親しんでも、相手に偏に染まらない。と云うことでしょう。

 

尚、五常の徳にある仁、義、礼、知、信の知は、それらの思想を制御するブレーキなのです。それを教養と考えましょう。教養とは、学問とは違い文化理想を云います。創造的な理解力や知識と考えて良いと思います。

 

伊達正宗は”義”が過ぎると堅くなる、”任”が過ぎると弱くなる。と云ってます。それらの感情を制御する”知”の必要性を解いているのです。 『過ぎたるは及ばざるが如し。』普遍的問題です。

 

注意:”義”は正義、正論、良心であり、”任”は優しさ、慈しむ心、

 

思い遣りです。

 

2008年1月末日