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武士道の精神規範

武士道精神とは、正に武士または武道を本分とする者たちの魂なのです。

そのように戦闘の専門家達を称して武家一門とする武士団が誕生したのは平安朝の初期で、権力者として歴史上に現れ歴史を騒がせ始めたのは平安時代の後期でした。

 

それまでは公家が権力の座にあり、(平安時代後期)それにとって代わり武士団自らが天下の実権をにぎるようになりました。その後公家を追い払うに留まらずパワーは欲を生み武士同士の権力抗争が始まるのです。その辺は『平家物語』に詳しくうかがえます。貴族の護衛であり手先であった武士団の栄枯盛衰の始まりです。その最中育まれた武士の美学や”物の哀れ”(感情主観である情)が後の武士道につながって行くのです。

 

平家の滅亡後、鎌倉幕府が成立。名実共に武士達の時代の到来です。

今迄は戦闘の専門家であればそれで良かった時代とは違い、天下を治める”為政者”(政治を行う者)としての文武両道、且つノーブレスオブリージ(高貴な者の位に価する”任”と”義” 位高くして責重し)の備わった人格が問われ始めました。その要になるものが”武士道の精神規範”だったのです。

 

天下が平定された江戸時代に入ると本来の形を変え、武士は戦闘者として以上に為政者に遷り変わって行ったのです。これも時代の流れ、現代にもこれに似た情況があちらこちらでうかがえます。時代を無視し、武士が本来の形にこだわったならば日本は滅びていたことでしょう。

 

その戦闘の専門家である武士を太平の世に適応させる為に施された教育が ”葉隠”に集約されている武士道だと私は思っております。 戦国時代から大平の世に生きた剣豪に”宮本武蔵”がおり、書き残した書物からその名は他の剣豪を凌ぐ知名度を得て、今日も語り継がれております。武蔵曰く、兵法者の本分は戦うことにあり。個人戦(自己)団体戦(軍)を問わず全てに勝ちを得る事とこそ兵法。としております。更に、勝利は主君の為のみにあらず。我が身のために名を上げ出世することが兵法者の徳(意義ある行為)と説いています。

 

全てにプラクティカル(PRACTICAL=実用主義)であったと言われる武蔵らしい理論ですが頷けます。”葉隠”に終始印象付けられる主君への絶対的滅私奉公がありながら、そこに隠された“誠”は私が読み取る限り”己が為”に尽きるのです。何故ならば、赤穂浪士は主君の仇討ちを”義”としたか。如何に因業爺とは言え放っておいても逝くであろう年寄りに斬り付け、怪我を負わせた主君を正義とするはずはあり得ません。幕府の一方的な裁決に家臣の意地を立て、武士の本分を全うし、武士らしく死ねる誉れを選択したのではないかと云うのです。

 

自尊心は武士の絶対的なファクター(Factor=要素、要因)でした。従って恥じをかく事は死より辛く、それを守る為には人も殺し、自分の命を断つことさえ古き時代には厭わなかったのです。その為“損”も受け入れ全てを失い犠牲にしても恥をかく事は許せませんでした。他国に類を見ない感情ですが、我々日本人の心底にそれが潜んでいることに気付くことはありませんか。恥を知れ。恥知らず。こんな言葉を投げられたなら万死(何度も死ぬ意味)に価すると云う観念は今日でも大切であり、男の品格を高める重要なファクターであると思います。

 

尚、先に述べました宮本武蔵ですが、それほどの実用主義者であった人にも関わらず、その臨終の際、晩年お世話になった細川家に言い残したと云う言葉があります。『私が息をひきとりましたら、このお国の入口に外に向けて埋葬下さい。死後も如何なる外敵からもこの武蔵が殿とお国をお守り申し上げる』と聞いたことがあります。それを知り細川家が武蔵の墓に供物や線香を絶やした筈はありません。忠義も単にお国や主君だけの為ではないという証しです。

 

皆さんも“情けは人のためならず”と云う言葉を聞いた事があると思います。

意味は“人に情けをかけることは、巡り巡って結局は我が身を助けることにも通ずるのだ”。と云う意味なのです。陰徳(人知れず行う善行)を積むのと同意語ですが、かと云え己の“損得”を意識し行う行為は“偽善”とされ卑しく思われるものです。“無我”の境地など常人の到達出来るところではありませんが現代においても“私欲を滅する”に近い印象を持たれる人格と品位は求めるべきところではないかと思います。

 

忠義を証すたくさんの美談が残っていますが、武士は奴隷ではなく自身の義を貫く為に生き、死んできました。御国の為、主君の為が己の大義であれば帰する処”我が為”なのだと私は思っています。言わば犠牲も自分の望むところであれば本望ではありませんか。切腹が武士の誉れであればこれもまた本望。我が望むところなのです。私は”葉隠”を十代から読み続けております。葉隠も武蔵以上にプラクティカルなのです。

 

命懸けで生きて来た武士が権力と武力を持ちつつ大平の世に残ればどのような現象が起こるかも見通し、教育したことこそ”葉隠”なのです。独特の美学を持ち、男が憧れるポイントと厳しさを知り抜いた書物であり現代にもじゅうぶんに変換可能な教えではないでしょうか。

 

支配階級であった武士がその地位を失い腰から刀を外した後も、なお武士道は新渡戸稲造氏により見直され、現代にも息づいています。読み方さえ間違わねば武士道は現代においても通用する日本人の良心であり美徳であり続ける筈です。

 

葉隠塾 塾長成嶋弘毅