女々しいとは、優柔不断で意気地なく思い切りも悪く往生際も悪い。
しかし、これは万人に当てはまることなので注意すべし。
先日、久々にこの言葉を聞いた。
石原慎太郎先生からだ。
僕は親父とは6歳の折、死に別れました。 その短く少ない思い出の中で一つ胸に大きく残ったものがあるのです。 一高から東大というエリートコースを歩んだ父が唯一散歩の際、放歌した歌が ありました。 それは母校であった一高の寮歌、「ああ、玉杯!」だったのです。 その歌詞の意味など判る筈もない年でしたが、何とその一言一言が感性に響き...
葉隠に、『ものが二つになるが悪しきなり』とあります。 多くを念頭におくことにより、迷いが生じるからでしょう。 そこで、僕の好きな言葉が登場します。 『一貫不惑』 それは、一事を貫き通し、迷いなしと云う意味で、 まさに迷いを振り払う最善策だと信じ、いままでやって参りました。 それは、図に当たらないこともありますが、...
昔、サトウハチローさんとおっしゃる作詞家がおられました。 外観や、その方の歴史を見ると想像しにくいのですが、とても優しい詩をつくられる方です。 その方がまだ若く、荒ぶっておられた時期がありました。お父様の理不尽なお母様への扱いに絶えられず、不良少年になって行くのです。浅草では相当な顔にまでなったと聞きます。...
武士道が日本国民に迷惑をかけたとしたら、
先の大東和戦争が最期だったのではないでしょうか。
ではなぜ、武士道は戦いの時に利用されるのか。
それは戦いや、勝敗を決する時に必要なものが内臓されているからです。
4月の嬉しい別れ 小学校に入学と同時に入門し、修行を続けて来た僕の自慢の弟子ですが、今年念願叶い“防衛大学”に目出度く入学致しました。 自分の腹を叩かせ、蹴らせの13年でした。 別れは決して嬉しいばかりではありませんでした。しかし両親のそれを思えば、 空手の師匠の思いなど口に出せるものではありません。...
私は子供のころからどちらかと言うと、日本人の伝統的生き方に 寄って成長したと思っています。
親が事業を営んでいたため経験した経済的浮き沈み、成長してからの自分自身の変化にも、自然親からの教えに沿って生きてきたのです。
新渡戸稲造の武士道に、『武士の仁愛は他の者の仁愛と異なる訳ではない。しかし武士においては正義を忘れない仁愛があり、その背後に,相手に対する生殺与奪の権力を有した愛なのである』と書いています。
武士道は物事を進め、達成する為に働く者(サムライ)の規範であり、そこには強い行動力が要求されます。言ってみれば核燃料の”核”のようなものなのです。使い方によっては非常に危険を伴うパワーです。でも、それがなければまたものが動きません。
去年(2010年)の6月から会社に出勤をしなくなり、つい必要もなくヒゲもそらずにいたことが度々ありました。そしてあるとき、鏡を見て自分の顔を見ますと何か変なのです。一番に確かにもう若くなく、シワも深くなり肌も艶を失っています。その上無精髭では何ともしまらない姿でした。そこで葉隠を開きました。